昭和47年3月25日 朝の御理解

御理解第92節「神は一体じゃによって、此方の広前へ参ったからというて、別に違うところはない。あそこではおかげをうけたけれど、ここではおかげが受けられぬというのは、守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ。神の守りをしておれば、諸事に身を慎み、朝寝をしてはならぬ。早く起きると遅く起きるとは、氏子が参詣の早い遅いにかかわるぞ。」と。
 これは、教会を持たれた取次者に対するご理解のようにあります。
 どうでも、取次者自身が力を受けて、そして、神のひれいを…。あれは、昨日の御理解で申しますと、天地の親神様をお現し申し上げる光だと昨日は頂きましたですね。を頂くということ意外にはないと。
例えば、朝寝をしておると信者がお参りするのも遅いというような所は、これは朝寝とか何とか、それだけのことではないと。結局、そのお取次者の信心なりのものぞという意味だと、こう思うのですが、これは必ずしも、だから、取次者ということではなくて、もっと広くも、小さくもみてらっしゃる。
まあ、広くと言うたら、世界中の宗教と言うても良いでしょう。天地の親神様の眼からご覧になれば、釈迦もキリストもやはり神の氏子としての見方なのですから。
お釈迦様の広前に参詣をする者、又はキリストの広前に、いわゆる会堂にお参りをする者、あって良いわけなのですね。エー、又は、自分自身のてもとのところでこれを考えても、だから良いわけです。
私自身の小さい、例えば個人の家においても、結局おかげはその人の信心なりだというわけなのです。
天地の親神様は御一体である。ね。神様の働きは同んなじであっても、その受けものが違えば、結局おかげの方も違うてくるんだという意味なのですから、小さくも頂けれるし、かというて、いうなら、大きくも頂けれるわけなんです。
お釈迦様の広前に参ったからというて、キリストの会堂に、教会堂にお参りしたからというて、ね、金光教でまあ申しますならば、ね、東京の広前に参っても、大阪の広前に参っても、合楽のお広前に参っても、同んなじだということ。神は一体じゃによって。ね。
けれども、守り守りの力によって、神のひれいが違うのぞと。
その天地の親神様を頂いておる人、又は、天地の親神様のお取次をしておる人の力によって、神のひれいが違う。というわけなんですね。
そこでその神様の現れなさる具合というか、又は、あー、神のひれいがどういうところから違ってくるのだろうかと、といってああいう信心をなさっておられるのに、そのう、御ひれいに浴することが出来ないといったような場合がありますよね。
あれだけの地道な信心を、一途に、凝り固まっておられるのに、神のひれいをそこに感ずることが出来ないといったような場合がありますよね。

結局、私が思うのにね、おかげをおかげと頂くか頂けないかということだと思うですね。
それを、その根本的に違ってくると、大変ないわゆるおかげとは縁の遠いことになってくる。例えて、私が申しますとね、もっと2,3日前でしたか。芥川龍之介という小説家がおりますね。その方自殺をしました。その方の書いた小説の説明のようなことを、ちょっと途中から観たんですから、分かりませんけれども、あのう「奉教人の死」というのがあります。そのう、そのような小説があることは知っておりましたけれども、内容がどのようなものであるのか知らなかったけれど、その説明をしてました。
とにかく、父親2人に、教会に入る。それが女では入られないから、男装して入るわけですね。ところが、そのう、ある、まあ、それは違うかもしれませんけれども私が感じたことは、村の乙女がその人に恋をする。ところがそれを受け付けなかった。もちろん受け付けられるはずが無い。自分は女性であるから。ね。
ところが、その娘がほかの男と交渉があって子どもができた。その子どもをですね。その自分が恋をしたその人に面あてに「あの男の子だ。」と、こう言いふらすわけなんです。
そのへんのところがですね、例えば、キリスト教なんですけども、キリスト教ではどういうふうな受け方をしておるかというとね、「それも神の御心だ。」と、こう頂いておるわけです。
だから、「いいや、私の子じゃない。」などと言うて、そのいわば言訳をしてないわけです。だから、そのへんのところまではね、例えば、ほんならお道の信心で言うと「馬鹿と阿呆で道をひらけ」と、ね。おっしゃっておられます。だから、その馬鹿と阿呆になれということだけではないんです金光教の信心は。「馬鹿と阿呆になって道を開け」と、こうおっしゃる。
それは、なるほど神の御心であるに違いないけれども、どういうような御心かと、そこに、いうなら馬鹿と言われてれば「どうして俺が馬鹿か」というのではなくてですね、馬鹿と言われるその思いを自分の心の中に頂いて「なるほど、これで人が神になるはずだ」といったようなところを反省したり研いたりして、「馬鹿と言われても、他人が顔に関るようなことを言うても腹を立てな」と、「神が顔を洗うてやる」と、これが金光教の信心なんです。
金光教の信心と言うよりも、教祖の神様の御信心なんです。
そこが、お釈迦様と違うところです。又は、キリストと違うところなんです。ね。
ですから、金光教では馬鹿と言われても阿呆と言われても、そのこと自体をね、おかげと頂くわけなんです。そして、それをおかげにしていかなければです、おかしいというのが金光教の信心なんです。
「神が顔を洗うてやる」ということは、神様が顔を立てて下さる。
「あの人は金光の信心しよって、どうしてあげん貧乏するじゃろうか。」と言うて、人が、例えば、顔に関るようなことを言うですわ。私どもでも随分軽蔑されたことがあります。貧乏をしておる時代に。そういう時代が長かった。けれどもです。そこから精進させて頂いておるうちに、段々おかげを頂いて、「やあ、なるほど、神様じゃなあ。金光様じゃなあ。」とこう、神様を現すことが出来るように段々なってきた。ね。
馬鹿と言われてもです。ね。例えば、顔に関るようなことを言われてもです。「辛抱しとけ。」だけじゃない。「そういう辛抱して、そして道を開け」とおっしゃる。「馬鹿と阿呆で道を開け」とおっしゃる。道が開けなかったら金光教の信心じゃないです。そうでしょう。
ですから、そのことも、だからおかげと頂けれるところに、お道の信心があるです。
「神の御心だから」と黙ってそれを忍んで受けていくというのとは、全然違うでしょうが。
それを、ただ神の御心ではなくてね、それは神様が氏子可愛いというご一念がそういうことになってくるのであって、だから、そこが悟らせて頂くときに、ね。恥ずかしいことだとか、苦しいことだとか思っておったことが、「有難いなあ。」というふうに変わって来るんです。だから、道が開けるんです。だから、神様が顔を立てて下さる、顔を洗うて下さるようなおけげに繋がって来るのです。
ですから、なら、これを金光教の、ここでは教会を対象にしてお話して説いておられますから、そう言うてもです、教会長自身の心の中にです、ね。馬鹿と阿呆と言われ、「俺のどこが馬鹿か」といった教会長では神のひれいを現すことが出来ないということになるのです。
又は、言うなら、自制的精神が非常に強くてです、これが神の御心だとキリスト教的な受け方をすればですね、一生その教会は、もううだつが上がらんのです。ね。
だから、めいめいの手もとのところで言うても理屈は同じなんですよ。だから、このへんのところをです、金光教の信心はおかげを受けなければね、もう値打ちはないです。おかげが、その信心によって現れて来なければ。ね。
ところがです。ある時火事になるわけですね、どこかが。いわゆる、奉教人の死。その中にです。その自分に、その男、腹の中の子を(ぬすくりつけたん?)ですね。そのう、恋のかなわぬ腹いせにいろいろ言うておったその親子が、その中にあることを知って、そのう、宣教師の人がその中に飛び込んでいって、その親子を助けて来るわけなんです。そして、自分は煙に巻かれて死ぬるというんですよ。ね。
それを非常に尊いもの、美談としてみておるですね。
奉教人(?)というのは、宗教人、特に取次者などは、特に、なら坊さんとか、そのう、なんとは、そういう犠牲的な心が富んでおらなければ、それが美しいものではないような見方をしておるですね。金光教は、そこが大変違うんですよ。
そしてその、それがそのう、その中から連れられる時にはもう息も絶え絶えで、息が切れている。そして、フッとそのう、その焼け爛れた姿の中からです、ふっくらとした乳房を皆が発見するわけなんです。そして、この人は女であったということで、いよいよ、そのう美しいものに描き上げておる小説らしいんです。私は詳しいことはわからん、それだけのことなんですけどね。まあー、ね。
こんな馬鹿な話はないですね。人をその、そういう濡れ衣を着せられながら終わっていくなんて。ね。しかも、そのやつ(?)のために自分が命を落とすなんて、そんな馬鹿な話はないです。そんな、私は、あのー神様は、私はおかしいと思うね。もし、そういう…、けれど、それは結局は守り守りの力というか、守り守りの頂き方によって違うのです。キリストという方はそういう頂き方をなさった方なんです。ご自身が十字架の上で、そのう、一生を終わられたというような方なんですから。ね。
だから、私は、金光教の信心の素晴らしいところはそこだと思うです。ね。「馬鹿と阿呆になれ。」とおっしゃる。「馬鹿と阿呆になって道を開け」とおっしゃる。
ひとをどんなに顔に関るようなことがあっても、ね。そこのところを生神金光大神の御取次ぎを頂いておかげを頂いておれば、必ず、神が顔を洗うてやるというおかげに繋がるんだと。
ですから、そのこと自体をいわゆる“難はみかげ”として頂くのがお道の信心なんです。
難を難として、難をただ神の御心というわけでは頂かんのです。難そのものがみかげだ、おかげだとして頂くわけです。そこにね、いわゆる神のひれいが違うてくる。ね。生き生きとしたいわゆるおかげがそこに伴のうて来るというわけなんです。
信心しておればね、何かそういう、そのー、あのー、いわゆる奉教人の死じゃないですけどもね、何かそれが如何にも尊いことのような、あのー、これは他の宗教でもそうですよ、ね、その91節にもありますように「もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども」と、こう仰るように、そのー、あられぬ行もするけれども、それは人が助かるということだけではない。自分自身が助かることのためにあられぬ行をしておるんですよ。
全然、根本的に違うんです。ね。
「私だけがじっと辛抱しておけば良か」。「私だけが馬鹿になっておけば良か。」と言うて泣き寝入り的なですね、ことで、もし、おかげが現れないとするなら、それは私どもの根本、考え方が根本的に違っておるのであるから、改めなければならないと。
「守り守りの力によって神のひれいが違うのぞ」と。
なお、これをまた、金光教だけに絞ってまいりますとですね、東京の教会もある。大阪の教会もある。合楽の教会もある。同じ金光様、同じ天地金乃神様。
けれども、それを守りをしておるその人が違う。ね。
どうゆうふうに違うかと言うとです、ね。今申しましたように、同じ一つの事柄でもです、まあ極端に、まあー、奉教人の死を例に取りましたがですね、人から濡れ衣を着せられるようなことがあってもですね。それを黙って受け忍んで行くということ、それをおかげとして頂いていくということ、そこを私が、さあー、開けば顔を洗うてやるとか、道を開けとか仰るその道を開くことになる、顔を洗うて貰うことになるのだけれども、こちらの考え方が頂き方が間違っておると、一生そのままで終わって、濡れ衣を着たまま死んで行かなければばならない。そして、死んで後にそれが判ったにしろです、ね、こんなに酷な話は無いですね。
それぞれ、生きとる間にそれが判る。顔を洗うてもらえる。そこに私は、お道の信心があると思うのです。
「諸事に身を慎み、朝寝をしてはならぬ。早く起きると遅く起きるとは、氏子の参詣の早い遅いにかかわるぞ。」と、仰っておられることは、必ず朝寝とか早起きとか言うことだけではない。この神様は言うならば、ね、お前の信心次第だということなんです。お前の受けもの次第だと言うことなんです。
お前が早起きをすりゃ、信者も早起きをする。ね。お前が本気で真の人を目指すならば、信者もまた真の人を目指して、その後からついて来る。と言うことなのです。
ですから、それをめいめいのところに頂きましてもです、ね、結局、自分の信心のー、態度と言うか、その姿勢がですね、力にもならない光にもなっていないとするならばですね、神のひれい、神様を現すこと、神様の威と言うかね、御威力と言う、御威徳と言うですね、神様の御威徳です。
その神様の御威徳を現すことが出来ない。又は、神様の御威徳を現すことが出来る。神様の御威徳と言やア、例えどういう難儀な問題であっても、それが麻のように乱れておるような問題であっても、それこそ梳き櫛で梳いたように綺麗にとき流して頂けれる。それを神の御威徳、神の御ひれい。
どんなに人が顔をかかわるようなことを言うてもですね、神様があらゆる手だてをもってですね、顔を洗うて下さるというのが金光教の御信心だけれども、その神様の御威徳を現しきらなかったら、やはり、一生うだつが上がらんで終わらなければならない。
神様の御威徳を現し申しあげれる。なるほど、神様じゃなと皆が認めてくれる程しのおかげを頂いた時にはじめて、なるほど、神様じゃなと皆も判ってくれる。神様の御威徳に、そこにひれ伏す。ひれ伏させることが出来る。ね。
実に微妙です。ね。もう、信心におかげを受ける心ぐらいデリケートなものはないです。
奉教人の死に現れて来る宗教人の態度と、なるほど、唯聞いておるとそれは実に見事であり、なるほど、それがあー奉教人な教えを承って頂いておる者のそれが心の手本のように思われる。言うなら、一つの美談的な見方がされるけれども、ね、そういうことでは神様の御威徳を現さんなりにしまえなきゃならんでしょうが。
ここでの御信心はどこまでも神様の御威徳を現すということ。
昨日は、北野の中村さんのお宅のお宅祭りでございました。そこで、私、昨日お話したことでございましたけれども、大変長年の信心をしておられる家庭であり、ご承知のように、あのお年で熱心にお参りをされます。あちらに、例えばおまつりをしてあるお神様の前に、それこそ、中村キクヨさんのお広前に出らせて頂きましてですね、いつも感じることは、
なんとはなしに有り難いなあーと。有り難くなくともなんとはなしに有り難くならさられる雰囲気を持っておるということです。
 それは中村キクヨという方が神様の守りをしておる、その守りの、それは一つの御威徳だ、現れだと、こう思います。ね。けれども、今、中村さんが有り難いなあと思っておられる“有り難いなあ”で留まったらです。ね。それはまあァ言うならば、港に入っている舟。帆だけは上げてあるけれども、港に入っておるようなものです。ね。
 現在いわゆるマイホーム的なおかげ、おかげを頂いてから、娘たちは、それぞれ良い主人を持って、良い孫が出来てね、お店が時々(とぎれることはない?)けれども、食べることやら何やらに何の不自由は無い。食べたい物は食べられる。飲もうと思えば飲まれる。どうしようと思えばどう出来るだけの、段々おかげを頂いて、ね、誰にも迷惑かけんでも、ただ金光様有り難うございますと言うときゃあ、このおかげが受けられる。まあ、それで立派なことのようであるけれどもです、ね。
それでは、けれども同じなら履物店であってもですね、履物屋さんですからね。「(信心が進んどらんばってん?)、あすこは、まあだ立派な履物屋があって、ああいう繁盛しよるではないか」と言うようなことでは、神のひれいを現すことはできませんね。
なるほど、小じんまりとした店だけれども、とにかくお店がイキイキとしている。どこよりもより品物が安くて、そして繁盛の道をたどっている。何か、そこにイキイキしたものがある。ね。現れて来るようなおかげを受けることのために。これはお店だけのことではない。家庭の上にもそうである。
その上にね、中村さん、港の中に、神、親先生まかせ、舟は帆まかせ風まかせと言うてですね、人間的には親先生まかせになりゃあ良かけんでと言うて、帆だけは上げとって、港の中にちゃんと停泊しとったんじゃあでけん。沖にでらにゃいけん。沖にはね、吹きよらんごたるけれども風が吹きよる。その風に、いうならば、その風に満風をはらんで、次の港に、また着かせてもらう。
風があるからこそ船足も速くなる。次の港は、今も有り難いと言うておる、それよりももっと(ダダミ)にならない程しの広さ・深さを持った有り難さ。少しはスリルはある、ね。
風のあるところに舟を入れていこうというのであるから。ね。けれども、それが又有り難いのだ。
今のままで、このまましときゃあ、なるほど極楽のようである。別にどうとも言うことはいらん。けれども、合楽の信心を二十何年頂いて、しかも毎月、そのう北野の中心になって共励会を開いておられるが、です。今頃は本当は「中村さんの話を聞くのが楽しみ」、「中村さんの話を聞くと助かった」と言う程しの人が出来ておらなければ、実を言うたらおかしいんじゃないですかと。
信心の威力が無くなって来た。神様に対する魅力が無くなって来た。
これは、私は、ああー、信心さして頂く者のです、まあ言うなら、危機を感じる。
舟を、例えば、沖に出させて頂くという元気な心。しかも、吹いて来る風をです、利用して進む時、問題が有れば有り、難儀が有れば有り、その問題やら難儀やらを、を、おかげと頂かせて頂く信心がいよいよ出来て来る。
次の港に目指して走って行くような信心からでないと、私は、神のひれいをたてる。神の御威徳をいよいよ現すということ。ただ、小じんまりと自分の頂きは(こっとると言わんごと?)おかげを頂いとるということだけでは、つまらんのだということ。
私の物言い、信心がです、(芯にまで?)それがこう触れる。「なるほど、神様じゃなあ。」と言うて貰える程しの神のひれいを現していかなければいけないという意味の話をしたことでした。
「もう、願うた。ああ、これが成就した、あれも成就した。もう特別バタバタせんでも良い。」と言うのではなくて、金光教の信心は「一生が修行」と仰るのですから、ね。一生、私どもが神様の御威徳をいよいよ現すことの出来る修行に向かって精進させて頂くということが、これは自分自身の手もとのところで、今日のご理解を頂くとそういうことになってまいります、ね。それを教会という場にもって参りますと、東京の教会、大阪の教会、合楽の教会、例えば、ね、そのひれいが違う。同んなじ神様を拝んで、同んなじ教会を持ちながら、ね、どこは御ひれいがたっておる、御ひれいがたっていないと言うのは、その先生のいわゆる考え方の中に、頂き方の中に、ね、相違があるんだと言うことになります。
それをもっと大きく申しますとですね、お釈迦様のお広前に参っても、キリスト教の会堂にお参りをさせて頂いても、ね、神は一体だから、実を言うたら、おかげは本当は一つでなからなければならんのだけれども、いかにも、例えば自信になることが信心のような、それが尊いような考え方をしておれば、やっぱり、そういうことだけで終わってしまうといったような意味で、今日は聞いて頂きましたね。


秋田健一郎
2005年11月13日